政治評論家の三宅久之さん死去
http://www.asahi.com/obituaries/update/1115/TKY201211150572.html
20数年前の学生時代、私は新聞配達をしながら臨床工学技士養成校に通っておりました。。。
中学時代に父が亡くなってしまい、高額な学費を母に出してもらうことは躊躇われたため、自力進学を決意して「新聞奨学生」制度を利用しておりました。(現在は臨床工学技士養成校も医療系学部に位置づけられているため(カリキュラムの関係上)新聞奨学生制度は使えないようですが、当時は学科が出来たばかりで知名度が低かったことと、「医用工学科」という学科名だったため一般の工学系学部と思われていて除外されておらず、新聞奨学生制度が利用できたのでした。)
朝3時前に起床して、重い新聞を積んだ自転車で雨の日も雪の日も何百軒(確か私の担当は350軒程度でした)も配り、月末は集金に追われて・・・身も心もボロボロで、勉強する気力なんて全く残っていなかった、日々生活するだけで精一杯だった学生時代。
私は、都内の某高級住宅地を担当していたのでした。(女の子なので治安がいい地域の方がいいだろう、という配慮で、芸能人や著名人、野球選手や声優さんなどが多く住む高級住宅地の担当をしていました。)
そのとき。
三宅久之さんのお宅も、私の担当区域のうちの1軒だったのでした。。。
いつも集金に行くと、優しい奥様がお声を掛けてくださって、お茶やお菓子をご馳走になったり、励ましていただいたりしたことがあるのですが、時々、三宅久之さんご本人もご自宅でくつろいでいらっしゃって、勝手口から集金に伺った私に、
「若いうちの苦労は絶対いつか身になる時が来るから、くじけないで頑張りなさいよ」
と声を掛けていただいたことがありました。。。
テレビで拝見する時とはまったく違う、リラックスしたお姿で、優しい「おじいさん」という雰囲気で、担当中はずっと何かと気にかけてくださって・・・本当に優しい方でした。
あれから20数年。
学校を卒業して普通の生活に戻ってからも、時々テレビデでお見かけすると「あ、三宅さんだ!」と、まるで旧知の方にお会いした時のように嬉しくて、(あちらはもう覚えていらっしゃらないでしょうが)親しみを感じていました。
ずっとお元気そうで安心していましたが、ここ最近はお仕事を控えられていることを知り、心配していたところでしたので本当に残念です。。。
あの苦しかった学生時代を何とか乗り切れて学校を卒業できたのも、三宅さんのようなお優しい担当区域の方々に支えていただいたからです。
テレビで激しい舌戦を繰り広げていることが想像できないくらい、優しくて気さくな方でした。
ご冥福をお祈りいたします。
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