自分がこういう立場になって初めて見えたものがたくさんあって、アタシはこの仕事を始めて20年経つというのに、今まで何も解っていなかったし見ていなかったんだということを日々実感する毎日です。
透析導入を宣告された患者さん達の慟哭を、悲しみを、本当の意味で理解したのは、ここ数か月と言っても過言ではありません・・・。
こういう仕事をしている関係上、アタシは自分の体の状態が今どんなものか、そして透析から逃れられるレベルでは到底ないということを、気持ちはともかくとして頭では理解出来た状態でここまで来たように思います。
「シャント作成は気持ちが落ち着いたらね」と気遣ってくれていた主治医に、「もう仕方がないということはよく解っているのでいつでも大丈夫です」(ホントは当時尿毒症症状が苦しくて早くシャントを作って欲しいという気持ちがあったw)と返事をし、
少なくとも表面上は取り乱すことも嫌がる素振りもなく、淡々と受け入れてここまで来たように、周りには見えていると思います。。。
ショックではないのかと言われたら、(解っていたこと覚悟していたこととはいえ)気が狂いそうなくらいショックだし、
イヤではないのかと言われたら、本当は仕事も家庭も放り出して逃げだしたい、というかむしろ、いっそ首でも吊ってしまった方が楽なんじゃないか・・・って思うことはしょっちゅうで、気を抜くと死にたくなる弱い自分が要るのも否定できません。
以前の私は、自分で処理しきれないくらい気持ちが辛い時は、ピアノを弾いたり、あるいは詩集を読んだりして気を紛らわせたり出来たのですが、今はそんな気持ちも起きない位(多分尿毒症症状のせいで集中できないことも影響しているのでしょうが)ボーっとするのが精一杯です。
毎日毎朝顔を見ている透析患者さん達も、みんなこんな思いをしながら透析に至っているのかと思うと、これまで淡々とビジネスライクに接してきた自分の浅はかさを申し訳なく、如何にダメなスタッフであったかを思い知らされます。
透析看護についても、過去いくつかの書籍を読んだりして自分なりに勉強していたつもりで理解していたつもりでした。
透析を受容に至るまでの精神状態などについても理解していたような気持ちになっていました。
患者が透析を受容するまでにはいくつかの段階があり、まず、自分の病気を知ったときの驚愕(衝撃)、次に抵抗、その次が絶望、虚脱と感情が変化していき、そして最終的には徐々に現実を受け入れ、やがて、「やっていかなければいけない」という自立と再結合の段階となる、というのが一般的な透析受容までの心理とされています。
今の私の心理状態は、多分「絶望」~「虚脱」なのかなと思いつつ、ということはいつかはこの気持ちも受容へと変化し、やっていかなければならないと心から思える日が来るのかしらとも思うのですが・・・
(今でも、気持ちのどこかではイヤだろうが辛かろうがやっていかなければならないことは頭では理解しているし、弱音を吐くのは許されないことは解っているんですが・・・解っていても気持ちが付いて行かないというか、表面上は普通にしているのですが、1人になると死にたくなったり泣きだしたりと抑うつ状態なんですよねぇ。。。)
患者さんの中には、我々医療者に対してストレートに怒りや反感をぶつけてくるタイプの方もいます。
スタッフとしては、こういう患者さんに対峙するのは厄介で面倒で好きではなかったのですが、患者になってみると、そうやって怒りをストレートに表現できるタイプの患者さんはある意味幸せだし、医療者に対する甘えでもあるからしっかり受け止めてあげなければいけないのかな、という見方をするようになりました。
何はともあれ、とりあえずは時間が解決してくれることを信じて、しばらくはこの心の葛藤を客観視しながら見つめていきたいと思います。。。