» 2012 » 11月のブログ記事

我が家の息子は、歩き始めると同時にスキーを履かせて(それも、プラスチックのおもちゃのパンダスキーなどではなく、きちんとした幼児用スキー板です)、本来なら3歳児からしか入れない「猪苗代リゾートスキー場」の「ピーウィーレッスン」に入れて、毎年、10年以上冬場は毎週末のようにスキー場で過ごすという生活をしてきました。

もともと、夫は岩手出身の為スキーは上手で、私自身も栃木で育ったので小学生のころからスキーはやっていて(でも上手くはなかったwww)、独身時代からずっと冬場はスキーをしている生活でしたから、子供が出来てもその生活を続けるのに抵抗はありませんでした。

万一、小さな息子が雪を嫌がって大泣きしたらまた違ったのかもしれませんが、初めてスキー場に立たせたその時から息子は雪に大喜びで、夫が背中に背負ってコースを滑ってもキャッキャとはしゃいでいるような子だったので、次の週には一番小さな幼児用スキーの板(確か70cmの板だったと記憶してます、靴は16cmが最小だったのですがまだブカブカでしたw)を買い揃えて、教室に入れてしまいました。

以来、中学受験をした小学6年生の冬を除き、毎年スキーに出かけていた我が家。

そんな私たちを、私の母などは「そんな無駄遣いして!子供が居るんだからもっと堅実に生活しなさい」と、呆れていたことも多くありましたw

が。

いざ、息子が私立中学に入ってみると・・・周りには2~3歳からスキーをしていた子ばかりw

ほ~ら!無駄じゃなかったじゃないかwww

(分不相応ではあったかもしれないけどw)

子供には何でもやらせておくに限ります。

 

なお、小さな子供(2~3歳の子)にスキーをさせる際、プラスチックのパンダスキーをやらせている方をよく見かけますが・・・あれは絶対にやらせない方がいいと思います。

なぜなら・・・

あんなものを履いてまともに雪面に立てるはずが無いからです。(大人だって無理。まして足首が不安定な幼児なんて、恐怖心を植え付けるだけで終わります。)

どうせやらせるのなら、きちんとしたスキー靴で金具付きのスキー板を履かせましょう。メーカーによっては67cmくらいから板のサイズはあります。幼児用スキーなんて一式買っても2万円しません。1~2シーズン限りだとしても借りるまでもないと思います。新品を買ってあげてください。(サイズが合わなくなったらヤフオクなどで売れば、購入時価格の半額以上になるので損はしません。幼児用のスキー道具はオークションで高く売れますw)

(レンタル用の板や靴も、本当なら避けてあげるべきだと思います。子ども用や幼児用のレンタル品は、品質は往々にして最低で、エッジの手入れもなってないようなものが多いからです。初心者はボーゲンが出来ないと怖いだけですが、エッジが手入れされていない、ワックスもろくにかかっていないレンタル用のボロボロの板ではマトモに滑ることも止まることもできません。道具って大切だと思います。)

ちなみに息子の場合、スキーを初めて履いた2歳のころから保育園年少くらいまで、「ボーゲンヘルパー」というものを板に付けて滑らせていました。(息子は「ハチさん」と呼んでましたw ボーゲンヘルパーにハチの絵が描いてあったからですw)

中学生になった今でも「俺、小さい頃は「ハチさん」付けて滑ってたんだよなぁ」と言うのでカワイイですwww

 

スキー場で泣いている子供のほとんどは、おそらく寒いので泣いているのではないかと思います。

安いペラペラのウェアで、防寒もろくにしないで、同じく安っぽい手袋をぐっしょり濡らして・・・あれじゃ寒くて冷たくて、大人だって泣くわ!と私なら思いますw

小さなお子様のスキーウェアも、そこらへんのスポーツ用品店で「どうせすぐ小さくなっちゃうんだから」と、安いヤツを選ぶと気の毒です。

フェニックスなどのしっかりしたブランドの(お値段もそこそこの)防寒性能の高いウェアを着せてあげると、子供は泣かないことが多いですw

子どもはウェアも毎年買い替えるようですが、良い物を買っておけばオークションで高く売れますので(またそれかよw)、そんなにもったいない買い物ではないと私は思います。

小さなお子様にスキーをさせる計画のある親御さん、ぜひぜひおかねはケチらず、道具やウェアは良い物をそろえてあげて、「スキーは楽しい!」とお子様に思わせてあげてくださいね。

(お子様に嫌な思いを一度でもさせてしまうと、ウインタースポーツを継続するのは困難になりますからw)

 

そんな我が家ですが、現在はウェアも靴も板も、息子と夫が共用できるように(同じサイズに)なり、随分安上がりで済むようになりましたw

もっとも、ここ数年ほど息子はもっぱらボードに転向してしまっておますが・・・でも時々はこうしてお友達にスキーに誘われたりするので、そういう時は夫の靴と板を持っていかせるようにします。(どうせ家族で行く時はボードしかやらないので、お友達とのき合いで行くスキーの為に道具を買うのはもったいないもんね。。。w)

 

3連休は、息子の学校のお友達が泊まりに来ておりました。

 

中学生男子5人で、我が家でお泊まり会ですw

コメ、いったい何合炊けばいいんだ??www

 

そんなこんなでやってきました、お友達御一行様。

みんなお行儀がいいので感心w

元気な声で「おじゃましま~す!」と挨拶して気持ちいい子たちw

よしよし。

 

夕ご飯は、カレーにしようか何にしようかと悩みましたが・・・結局「手巻き寿司」にすることに。

コメは8合炊きましたwww

(もちろん全て寿司飯にしましたw)

海苔は6帖(60枚)用意して、お刺身はお魚屋さんに手巻き用の盛り合わせを2つ作ってもらって、あとはツナマヨ、コーンマヨ、ひき割り納豆、ねぎとろ、生ハム、焼肉、レタス、カイワレ、きゅうりの千切り、厚焼き卵、練り梅などを山ほど出して、

「あとは勝手にやってね~!」

と、(気を遣わせないように)私は退散してしまいましたw

8合のお米は全て綺麗になくなりましたwww

恐るべし男子中学生の食欲w

食後はリンゴを6個むいて、これもきれいに食べてくれました。

 

夜は順番にお風呂に入り、22時を過ぎたら部屋で静かに過ごし(寝たのは相当遅かったようですがw)、

朝は各自自分の布団をきれいに畳んで、夜中に食べたり飲んだりしたであろうお菓子の袋やジュースのゴミは綺麗に1ヶ所にまとめられていて・・・ホントにしつけのきちんとされた子たちで感心しました。

またいつでも遊びにおいでね~!

 

冬休みは、スキー場近くに別荘のあるお友達のおうちに遊びに行く約束をしているようです。。。orz

別荘って・・・次元が違うなぁ。。。

息子の同級生たちは、ほとんどの子は2~3歳からスキーの経験があるようで、とりあえず息子もスキーにしろスノボにしろ、誰とどこに行っても恥ずかしくない位のレベルで滑れるようにはしてありますが・・・

さすがに別荘は買ってやれない庶民な我が家w

冬休みも楽しい予定がたくさんありそうですが、課題終わるのか??w

母は取っても心配です。。。w(夏休みと同じ轍は踏まないでねw)

男の子の母親をやっていると、貨物列車とかに無駄に詳しくなりませんか?w

 

ウチの息子はもう中学生で、電車に興味が無くなってから10年以上経ちますが・・・小さかった頃は電車が好きで、とくに貨物列車が大好きで、穴があくほど図鑑を読んでいる子供でしたw

一緒にその図鑑を見ていたアタシは、息子が電車のことを忘れて10年以上経つのにいまだにその知識が消えず・・・orz

踏切待ちで、たまたま貨物列車が通るとすかさず型番をチェックし、

「あ、EH500 金太郎だ!」

などとつぶやく後遺症が残っております・・・www

(ちなみに、私が毎朝見かけるEH500はTOYOTAのコンテナを引っ張っています・・・w  愛知から来たのね・・・とか思って見つめてますw)

 

他にも、EF65や、EF210 桃太郎 なんかを見かけるとワクワクしますwww

アタシは別に鉄ちゃんではありませんが、男の子を育てるとこうなりますよね・・・?w

 

そんなアタシのことを、助手席に座っている息子が時々、

「母ちゃんってさ、無駄にそういうこと詳しいよね。オタクじゃねーの?」

と言ってきますが・・・完全にお前のせいだからwww

おかしいから、それ。

 

あ、余談ですがこの歌↓↓は今でもフルコーラスでいけますw

息子の一番のお気に入りのビデオでしたので・・・w

 

そうそう、「のりもの探検隊」のビデオは全シリーズ持ってました・・・。

このビデオの影響で、「がったい新幹線」を観たいと言い出した息子を、仕方が無いので盛岡駅まで連れて行ったことがありましたっけ・・・w

(まあ盛岡帰省のついでで済ませられたからそれほど手間ではなかったけれど。)

当時は東北新幹線の終着はまだ盛岡で、山形新幹線や秋田新幹線の連結&切り離しが嫌になるほどゆっくりと見られて楽しかったなぁ・・・。

(そうそう、だから新幹線の型番にも無駄に詳しいかもwww)

 

 

 

 

大きな組織の管理を任されるようになって思うことは、自分も、そして相手のことも上手に許しながらでないと務まらないということ。

「許す」というのは案外難しいもので、ホントはこのレベルまで持っていきたいけど、今のウチの部署のレベルではこれが限界だろうからこのへんで妥協しよう・・・ということも「許し」の1つだと思うし、

そこまで持って行けない自分自身の無力を受け入れ納得することも許しの1つだと思うのです。

自分勝手な要求や文句ばかり言う部下たちを許し、チームとして受け入れて「仕方ないなぁ…」と大目に見ることも大切だし(そうできないことも多いけどwたまにたそうしなければならないこともあるっていうことでw)、

普段頑張っている自分を認め、気分転換に旅行に行ったり買い物をしたりしてリフレッシュを図れる能力も絶対に必要なことで・・・。(そうしないと体も心も壊れてしまうんだと、最近ようやくわかってきました←遅いってw)

 

管理者に不満を持たない部下なんて、1人もいないんですよねw(かつて自分自身がそうだったようにw)

組織に満足して、不満ひとつ持ってない人なんていないんですよね。

組織というのは「全員」を満足させて納得させて運営するなんてことは不可能で(ある程度の規模の組織であれば、ですが)、だから、時には不満分子の存在を認識しつつ、聞こえないふり知らないふりを決め込み、正しいこと、やらなければならないことを遂行しなければならないのが管理者で・・・だから、24時間365日仕事のことが忘れられなかったら、潰れちゃうw

 

管理者として経験が浅かったころはストレスで突発性難聴になったり、耳管開放症になったり、胃に穴があいたり、不安げな様子が小さかった息子に伝わって息子にチックの症状が出ちゃったりと、自分の心身だけでなく家族にも不調をきたしながら、ボロボロになりながら仕事をしていました。

最近ようやく、自分も他人も許せるようになってきて、潰れそうな自分を立ち直らせることが出来るようになると同時に楽になれました。

家族の雰囲気も明るくなりましたw(お母さんがイライラしてるのはダメですよね・・・ホントに反省w)

 

若いころは管理職の人の苦労なんて思い至ることなんてなかったんですがw

ふんぞり返って勝手なことばかり言ってる(ように見える)管理職って、孤独で、背負うものがいっぱいあって、ホントに大変なんだと今になって(自分以外の全ての管理職を務めている方々を)尊敬する気持ちでいっぱいですw

もう少し、息子が大学を卒業するまでは頑張ろうっとw(先は長いなぁ・・・w)

男も子供産んでみろや。

つわり苦しいんだぜw

つわり抱えながら仕事するの、半端なく根性要るぜ?w

妊娠後期、おなかが大きくなってくると息苦しくて仰向けに寝られないんだぜ?

息苦しいだけじゃなく、腰も痛くなるんだぜ?w

大きいお腹抱えながら仕事してると邪魔者扱いされたりして、結構悔しいし悲しんだぜ?w

でも一度お腹に入っちゃったものは出さなきゃなんないから、仕事休むの悔しいけど休んで産むんだぜ?w

そして産むのは死ぬほど痛いんだぜぇ?w

 

以上、スギちゃん風で読んでみてね(はぁとwww

 

産んだあとだって、男は何の役にも立たないしねぇ・・・はっきり言って。

おっぱい出るわけじゃなしw

子供も母親しか必要としないし。(子供が父親認識し始めるのなんてずっと後のことだし。)

 

だもんさ~・・・こういう歴然たる性差が存在して男女の性機能が違う以上、仕事と家庭の役割分担があるのはしょーがないんじゃないの??とアタシは思うんですがw

 

だから、男性諸君はしっかり稼いできてねwww

(うちの夫は無理でしたが・・・orz まあ同業者選んでるんだから、アタシの倍稼いで来いってのも無理な相談よねwww)

 

実際、子供が熱出した時に心細くて側にいて欲しいと望むのは、父親じゃなくて母親ってケースが圧倒的でしょう?

うちの夫なんてお粥一つ作れない能無しだしwww

アタシが入院した時も、小学生の息子にALL 外食&買ってきたお惣菜で過ごさせたアホだしwww

(今では息子の方が自分でチャーハン作ったりカレー作ったり、洗濯したりもできるので、いざって時は頼りになりますw)

男なんて子供産めないんだもん、なにもできなくったってしょーがないよね・・・。(でもちょっとはやれよ、とアタシは思っちゃう心の狭い女ですがねw)

 

その代わり、長距離運転とか、力仕事とか、機械の配線とか、家の中の電球交換とか、草むしりとか、重いゴミ出しとか、そういうめんどくさくて(アタシがやりたくなくてw)大変で力が必要だったりすることは全部夫にやってもらっているので、50/50だとアタシは思ってますw

 

家事も子育ても全部半分こね、だってアタシ働いてるんだもん。

でも長距離運転とか力仕事はアナタがやりなさいね、だって男でしょ。

これって男女平等なの??w 男女共同参画ってこういうことなんですか??www

だとしたらアタシは結婚しないでみんな独身で過ごして、気の合う仲間とルームシェアしながら力を合わせて生活して、子供は人工授精で優秀な遺伝子の人の精子でも買ってきて作った方が、何かと効率よくて良いと思うわwww

別に男と女が一緒に暮らす必要なんかないじゃないかw

 

家事や育児は、それをするように体も脳も作られている女が中心になってやり、

力仕事とか大変なこととか(めんどくさいこととか、女がやりたくないことwww)を男の人に押し付けてお願いして、ついでに外で働いて仕事をするのも中心になってもらってやった方が、

世の中うまく回るし無理がないし、女も楽だと思うんだけどなぁ・・・。

 

そんなアタシは家庭を疎かに、仕事一筋できてしまったダメ母ダメ妻なんですけど。(しかたがないよね旦那の甲斐性がないんだもんwww)

 

ちなみにアタシは家事に協力する男、って実体験としてわからないのですが、ご飯作ってるときに台所に男の人に入られてウロウロされるのが大嫌いですwww(邪魔なだけw 料理は1人で集中して好きなように作りたいタイプw)

片付けも、人にやってもらうと物の位置が変わったりしてイライラするので嫌です。

(ええ、新人を育てられないタイプですが何か?)

 

子育てはねぇ・・・父親参観日にきちんと授業参観に行ってくれる父親なら、多くは求めないかな?w

(子供はある程度の年齢になってくると(特に男の子は)母親より父親と遊びたがるようになるから、自然に父親も育児参加するようになるしね。)

男性が肩ひじ張って「育児育児」とやることは別にないんじゃねーの?とアタシは思うんですけど・・・おかしいんでしょうかね?w

ガノタの息子を持つアタシとしては一度行っておかなければならないだろうということで、「ガンダムフロント東京」に行ってきましたw

(というアタシ自身も1stガンダムど真ん中世代で、「戦場の絆」というゲームでは大将まで上り詰めたw黒歴史を持つ立派なガノタなんですがwww)

 

静岡に行っちゃったと悲しんでいたら、また戻ってきてくれました「ガンダム」さんw

相変わらず惚れ惚れする肢体でございました。

おひさ~♪

相変わらずステキ。

(ちなみに以前のお台場公開の時は、正式公開前に一度行ったきりでございました。)

 

早速有料エリアへ。

なんかドーム状の映画館みたいな所に入れられて、ガンダムの動画を観させられましたwww

(逆襲のシャアのあの名場面が再現されてて、最後はアムロにアクシズに埋め込まれたシャアのシチュエーションで終わるので、逆シャア観てない人は観てから行くことをお勧めいたしますw)

 

動画は首が痛くなりましたw(ずっと上を向いて見ることになるので・・・アレ何とかならないのかしら?)

 

上映が終わると、1/1ストライクフリーダムガンダム(胸像)の居るエリアに出ます。

ストライクフリーダムガンダムって何ですか?何ガンダム?1stしか観てないオバちゃんにはさっぱりわかりませんが、息子はえらく感動してました。

コレ↓

 

オバちゃんは、どちらかというとこっち↓の、コアファイターの方が心惹かれましたw

「めぐりあい宇宙」のあのコアファイターですね。

ララァ・・・ごめんよ・・・僕にはまだ帰れる所があるんだ・・・こんなに嬉しいことはない・・・

のあのコアファイターです。

 

暗くて写真写りが悲惨なのは仕様です。(だってスマホのカメラだもーんw)

 

その後、ガンプラ館みたいなところを息子と夫は一生懸命見学しておりましたが、アタシはガンプラには何の興味も持てないので、ガンダムカフェでガンプラ焼き@ジャーマンポテト味を食べてましたw

(板倉小隊シリーズの、食べるラー油とチーズとリゾット?みたいなのが入ってる限定販売の物もありました。)

   

ジオニストのアタシとしては(スミマセン戦場の絆ではジオンの大将でしたのでw)赤い彗星のソーダ@アセロラ味のソーダ も一緒に注文ですwww(ちなみにソーダの方の味はイマイチでしたw 甘すぎました。)

飲み物を頼むと、写真のハロのコースターが貰えましたw(結構カワイイですw 3人分頼んだので3種類もらえました。)

 

そんなわけで一日ガンダムを堪能し、オフィシャルショップで恥ずかしいグッズを(息子がw)買い、首都高の渋滞にはまりながら帰ってきました。

疲れましたw

1stガンダム世代のオッサンオバサンのみなさま、およびガノタのお子様をもつ親御様、ガンダムフロント東京は(お金はかかりますがw)ガンダムファンなら行っても後悔しないエリアですので一度お試しを~w

(1stガンダムのセル画なんかも展示してありますよw 平成ガンダムの0083や08小隊、最近やってたAGEの動画なんかも上映されるので、お子様も楽しめるはずです。)

 

 

 

 

新聞奨学生制度を利用しての臨床工学科進学についてご質問のコメントを頂きましたが(ご本人の希望により非公開とさせていただきます)、コメントを公開しないと返信が出来ないようなので、こちらの記事をもって返信とさせて頂きたいと思います。

で、「新聞奨学生制度が利用できるとして、働きながら臨床工学技士になることは可能か?」

とのご質問ですが・・・経験から言うと相当大変だと思います。もし、他に奨学金を融通できる当てがあり、他の方法で自力進学が可能なのであれば、私はお勧めしません。

(他にどうしても方法がなく、この方法でしか進学できない(というケースはレアだと思いますが:基本何とかなるはずです)という場合のみ以外、やるべきではないと思います。)

 

というのも、新聞奨学生に限らずですが、医療系学部で勉強しながらアルバイトをしつつ進学する、というのは並大抵のことではないからです。

学校のカリキュラムがそれくらいハードなのです。働いていると、休む暇も寝る暇もありません。

 

新聞奨学生をしながら卒業までたどり着ける人は、(文系のカリキュラムの緩い大学生や予備校生も含めて)半分もおりませんでした。。。

学校を辞める羽目になるか、奨学生を辞める羽目になるか、というパターンがとても多かったです。

 

なぜ私が卒業できたかと言えば・・・世間知らずで、それしか進学できる方法がないと思い込んでいたこと(今思えば、新聞奨学生で稼ぐ金額くらい、日本育英会の奨学金と、別のアルバイトなどで何とか賄えました・・・w)

また、たまたまですが、出身高校が地元ではトップクラスの進学校だったために、養成校入学後の多くの基礎系学科のお勉強は高校時代の復習程度のレベルに感じ、自宅で学習しなくても学校の成績が何とかなっていた、ということも大きかったです。

(養成校時代、お恥ずかしい話ですが自宅で勉強したことはほとんど全くありませんでした。仕事でいっぱいいっぱいで、毎日学校と仕事だけで精いっぱい、それでもぶっ倒れそうでしたので・・・学校も、正直単位の計算をしつつギリギリの出席日数で卒業したような有様でしたw)

今の養成校の学習内容はどうなのか解りませんが、私の時代は第二次ベビーブーム世代で、高校受験も大学受験もそれはもう熾烈を極めており、そのため、高校受験でソコソコの進学校に入れるくらいは勉強し、高校でも(当初は大学に行くつもりだったので)共通一次目指して猛勉強して過ごしたので、養成校でのお勉強は正直それほど大変ではありませんでした。。。(英語などは中学校レベルだと感じていたのを記憶してます。科学技術史などは、世界史の触り程度のレベルだったので、産業革命時代の復習だと思えば勉強する必要もなく、テストでもほぼ満点を取ってました。)

困ったのは理数系科目でしたが・・・w

(私は高校は国立文系クラスだったので、辛うじて高校数学も微積と確率統計まではやっていましたが、それでも苦手だったので苦労しました。授業は眠いのを我慢して死ぬ気で聞いておりましたw それでも家で勉強する気力も体力も時間もなかったので、授業だけでテストは乗り切りましたけどwww)

 

という状態だったので、学校での授業以外、全く勉強しなくても養成校を卒業し、国家試験に合格できる学力があれば、あとは気力と体力で自力進学も可能かと思います。

働きながら家庭学習もして、レポートも出して・・・というのは正直相当厳しい、というか私だったらできなかったと思います。(どちらかを辞める羽目になったと思います。)

今の国家試験のレベルと内容がどの程度なのか、そして今の養成校の教育内容がどの程度なのか私にはわかりませんが、あの時代(20数年前)とカリキュラムが大幅に変わっている(授業時間数が減っているとかw)ということは考えにくいので、相当厳しいということを念頭に置き、死ぬ気で、というか多分死んだ方がマシだと思うくらい厳しい、ということを覚悟して、ご両親ともよく相談して決めるといいかと思います。

 

何度も書きますが、新聞奨学生などをしなくても、もっと別な(マシな)方法で自力進学する方法はたくさんあります。

 

(ちなみに新聞販売店は特殊な世界で、治安も良いとは言えませんので、その辺の覚悟も必要です。特に女の子は・・・。)

 

政治評論家の三宅久之さん死去

http://www.asahi.com/obituaries/update/1115/TKY201211150572.html

 

20数年前の学生時代、私は新聞配達をしながら臨床工学技士養成校に通っておりました。。。

中学時代に父が亡くなってしまい、高額な学費を母に出してもらうことは躊躇われたため、自力進学を決意して「新聞奨学生」制度を利用しておりました。(現在は臨床工学技士養成校も医療系学部に位置づけられているため(カリキュラムの関係上)新聞奨学生制度は使えないようですが、当時は学科が出来たばかりで知名度が低かったことと、「医用工学科」という学科名だったため一般の工学系学部と思われていて除外されておらず、新聞奨学生制度が利用できたのでした。)

朝3時前に起床して、重い新聞を積んだ自転車で雨の日も雪の日も何百軒(確か私の担当は350軒程度でした)も配り、月末は集金に追われて・・・身も心もボロボロで、勉強する気力なんて全く残っていなかった、日々生活するだけで精一杯だった学生時代。

私は、都内の某高級住宅地を担当していたのでした。(女の子なので治安がいい地域の方がいいだろう、という配慮で、芸能人や著名人、野球選手や声優さんなどが多く住む高級住宅地の担当をしていました。)

そのとき。

三宅久之さんのお宅も、私の担当区域のうちの1軒だったのでした。。。

 

いつも集金に行くと、優しい奥様がお声を掛けてくださって、お茶やお菓子をご馳走になったり、励ましていただいたりしたことがあるのですが、時々、三宅久之さんご本人もご自宅でくつろいでいらっしゃって、勝手口から集金に伺った私に、

「若いうちの苦労は絶対いつか身になる時が来るから、くじけないで頑張りなさいよ」

と声を掛けていただいたことがありました。。。

テレビで拝見する時とはまったく違う、リラックスしたお姿で、優しい「おじいさん」という雰囲気で、担当中はずっと何かと気にかけてくださって・・・本当に優しい方でした。

 

あれから20数年。

学校を卒業して普通の生活に戻ってからも、時々テレビデでお見かけすると「あ、三宅さんだ!」と、まるで旧知の方にお会いした時のように嬉しくて、(あちらはもう覚えていらっしゃらないでしょうが)親しみを感じていました。

ずっとお元気そうで安心していましたが、ここ最近はお仕事を控えられていることを知り、心配していたところでしたので本当に残念です。。。

 

あの苦しかった学生時代を何とか乗り切れて学校を卒業できたのも、三宅さんのようなお優しい担当区域の方々に支えていただいたからです。

テレビで激しい舌戦を繰り広げていることが想像できないくらい、優しくて気さくな方でした。

ご冥福をお祈りいたします。

何処の職場に行ってもデスクワークが業務の中の比重として重くなってしまうのはなぜなんだろう。。。

(それは管理職だからw)

 

管理する部署の人数が、ここに来てから4倍以上に増えたので、勤務表を作るだけでも大変になった。

勤務表と、勤務実績管理と、薬品など新規採用物品の申請書の書類書きと、患者さんへのお知らせ作り、会議の資料まとめなどをやっているだけで一日が終わっちゃう・・・orz。

(もちろん、針刺し回収などの臨床業務もちゃんとやってますw)

 

なんか、前(の職場)より忙しくね?w

ま、年収が倍になったんだから仕方ないって言えば仕方ないんだけど・・・(忙しさが倍になったわけではないから文句は言えないが)

デスクワークのない仕事をして見たい今日この頃。。。w

忘れもしない東日本大震災の時の某製薬会社の対応。

当時アタシは透析室のない急性期病院に居たんだけど、震災後であろうと何だろうと患者さんは容赦なく状態が悪くなるから、当然透析を回さなければならないこともありました。

その時。

某製薬会社の透析液製造工場は津波で壊滅状態になったらしく、著しい出荷制限を行っていました。

そのことは仕方がないしやむを得ないと思うんだけど、その事情説明の仕方があまりにも誠意がなくて憤りを感じたんです・・・。

「透析室のある病院に優先して出荷する都合上、(オタクのように透析室なんかない普段から消費量が少ない病院には)透析液は回せません」

という返答。。。

アタシは途方に暮れました。本気で。

透析室がなかろうとなんだろうと、透析を回すことはあるのに。

「病床数の大小で命の選別を行うというのなら、透析室のない病院で腎機能が悪化した患者(で、状態が悪くて転院もさせられない患者)は死ねということ??」と、心の底からがっかりすると同時に腹が立ち、必死で別の透析液が入手できないか奔走する羽目になりました。

(維持透析の仕事からしばらく離れていた私は、透析液=F社としか思い浮かばなかったんだけど(昔はその1社しか作ってなかったし)夫に聞いたら今はA社でも製造していると教えてもらえて、ダメもとで問い合わせたら快く出荷してもらえて、震災後の物のない期間を無事乗り切ることが出来たのだけれど。)

 

で、そのアタシが、今は透析患者数100数十人を抱える施設のTOPとして、医療材料選定の全権を持っているわけですが・・・今の施設はそのF社の透析液や薬品を大量に使用していました。

あの震災の時にヒドイ対応をされたから、というわけではないのですが、『たまたま』私の行いたい透析の手技のニーズに合致しない製品ばかりだったので、申し訳ないと思ったのですがF社の製品を相当数切らせていただくこととなりました。

 

あの時の恨み(?)を晴らしているわけじゃありませんw

でも、過去ああいう対応をされたことがあると、やっぱり多少の無理をしてでも(自分のやりたい手技を妥協してまでも)F社を使い続けてあげよう、という気持ちは起きないんですよねぇ・・・。

 

あの時、津波被害を受けて大変だったのはよく解るつもりです。

(私も被害の大きかった県に住んでいますし・・・。)

でも、もっと言い方ってあったでしょうに。

「申し訳ありません、津波被害が大きくてどうしても予定の出荷数を用意することができません。」

と言ってくれるだけで事情は解ったのに。

なのに「アンタの病院は透析室なんてないでしょ。普段からそんなに使ってないでしょ。そういう所には出さねーよ。お得意様優先だから。」

なんて言う必要はあったんでしょうか??

 

まあね、あの時は透析液どころかダイアライザーも回路も、輸血用の血液も何もかもが思うように入手できなくてどのメーカーも殺気立っていたし必死だったんでしょうけど、必要なものが用意できないからってそんな失礼なことを言ってきたメーカーさんは後にも先にもあの製薬会社1社のみですからねぇ・・・。

(他の代理店さんやメーカーさんは、あのガソリン不足、物不足(津波被害を受けたのは製薬会社だけではありません。心カテの心電図の電極の工場とか、色々な医療機器の工場が被害を受けました)となりましたが、それぞれ皆さん大変な苦労をして患者さんに迷惑がかからないように必死で苦労して代替品を用意してくださったり、他社への切り替えを進めてくださったりしました。

捨て台詞をはいて突き放したのはあの製薬会社だけでした。

 

極限状態の時にその人(会社)の本性がわかるとよく言われますが、そのことを実感した経験でした。

 

現在、透析病院の責任者をする身ですが、あの時失礼なことを言った担当者と、現在の当院の担当者さんは何の関係もないでしょうしお気の毒だとは思うのですが、営業さんは会社の顔であり、会社の考え方を映す鏡であると私は思っています。

しばらく(多分アタシの定年まではw)F社への印象というのは良くならないだろうなぁ・・・。

営業の方、非常時に本音を言っては顧客を失いますよw(今目の前に居る小さな施設の所属長が、永遠にその施設に居る保証はないんですからw いつかその人が大口の顧客の施設のTOPになることだって、ないとは言えないんですよ~w)