3年前のあの日、私は震度6強の揺れの中、重症呼吸不全の患者さんにPMXを回していました。
ICUのモニターは倒れて、酸素供給は停まり、電気も停まったけど自家発電が動いてくれて何とかOK、水道も水道水プラントを持った病院だったので止まらずOK、という中、10分近い揺れを耐えました。
警報が鳴りまくるME機器を1台1台点検し、全ての稼働がOKとなったのは夕方。
連絡の取れない夫も心配でしたが、何より学校に居るはずの息子が心配で気が狂いそうで・・・携帯電話も固定電話回線も通じないし、すぐには見に行けないし、パニック寸前の中、院内の公衆電話が通じて、息子の学校に安否確認の連絡を入れることができたのでした。
道路が寸断され、
信号が落ちまくり、
あたり一面停電で真っ暗、
ブロック塀は崩れ、
古い民家は崩れ落ち・・・という中を不安でいっぱいになりながら息子のお迎えに。(仕事は抜け出せました。)
無事だった息子と再会し、先生方にお礼を言ってまた病院にとんぼ返り。(息子はME室に居てもらいました。余震が激しくて、とても自宅には置いておけない状況でしたので・・・。)
次から次へと搬送されてくる患者さんに追われつつ、余震におびえながら、何とか混乱する院内の落ち着きを取り戻したのを見届けて帰宅できたのが夜遅くなってから。
自宅はメチャメチャで、食器棚の食器が全滅、本棚など大きな棚が倒れて、パソコンラックも倒れてPCやプリンタが落ちて割れてましたが、建物が無事でほっとしました。
片づけをする気力も、
余震が続く中そこにいる勇気もなく、
20キロ北の実家に帰って夜を明かしました。
実家は停電も断水もなく、倒れた食器棚も本棚もなく平穏無事でした。(踏切の向こうに住む弟の家は停電&断水で、そのため弟と姪は実家に避難してましたけど)
その日の夜にテレビで見た、津波の風景は忘れられません。。。
それから1年が経ち、看護師をしている妹が震災直後に被災地支援に行ったという岩手の陸前高田や大船渡を訪れる機会がありました。
あたり一面瓦礫の山で、人っ子ひとりおらず閑散としていて、復興とはほど遠い光景が広がっていました。
観光船などは再開していましたが、訪れる人は少なく・・・
震災前に観光に来たことのある私は、震災前の風景と比べて、その落差に絶望的な気持ちになったりもしました。
昨年も、再度大船渡に観光に行きました。
がれきの山は無くなっていましたが、
プレハブのお店がポツポツと建っていたりはしましたが、
復興とはまだまだ言えない状態でした。
「復興を支援しよう」「出来ることをやろう」というのは簡単です。
でも、実際に何をすべきかを考えると、募金くらいしか浮かばないという人が大半ではないかと思います。
被災地は必死で立ちあがろうとしています。
しかし、実際そこに足を運ぶ人は多くありません。
観光客のために観光船を再開し、食堂を建て、お店や旅館を再開しても、
そこに足を運ぶお客さんが少ない状況なのです。
復興を支援しよう、と軽々しく口にする前に、
夏休みの旅行を被災地にしてお金を落としてくるとか、
少しでもにぎやかにしてくるといった支援の方が、
余程被災地の方のためになるのでは、と私は思っています。
口で言うのは簡単です。
でも実際に足を運んで、
子どもを連れてあの閑散とした街を歩いて、
それでも努力して営業を始めているお店を回り、
そういうことをするのが何よりの「復興支援」ではないかと、
実際に被災地に足を運ぶと痛感します。
あそこにいちばん足りないもの、それは「人」です。
街にあたり前に溢れる「人」がいません。
人がいなければ何も進まない。
どうか、復興支援を口にする方々は、
今年の連休や夏休みなどの機会には、
TDLやTDSやUSJも結構ですが、
お子さんを連れて被災地の観光地巡りをしてみてください。
何とかして立ち上がろうとしている被災地で、そこで頑張っている人達をはげまし、
現地でたくさんお金を使って帰ってきてください。
どこの誰だか得体のしれない団体に募金して自己満に浸るより、
余程現実的な支援になるはずです。
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