» 2013 » 6月 » 21のブログ記事

中学生の息子。
中高一貫校なので高校受験はありませんが、そろそろ中学課程の学習が終わります。
(中高一貫校では、中学2年で中学課程の学習が済んでしまい、3年生になると高校課程の授業に入るのです。)
そのため、2年生の今から、そろそろ将来の進路に向けた思考を持ってもらわないといけません。
(大まかで良いので、文系か理系かくらいは選択できるようにしないと、進級の際のクラス編成希望が出せませんので・・・。)

私は、臨床工学技士になろうと決めたのは高校3年の3学期でしたw
それまではずっと国立文系クラスに所属していて、滑り止めの私大には2校から合格をもらっており、あとはセンター試験(当時は共通一次が無くなって、「新テスト」って呼ばれてましたけどw)を待つばかりで、当然国立大を受験する気で願書も出していました。

が。
その頃の私は悩んでいました。
文系クラスだったので、進学先は文学部などになる訳ですが、そこを出て仕事にありつけるだろうか・・・と。
私が大学受験の年はバブルがはじけたばかりでしたが、既に4年制大学卒の女子の就職は厳しいものになり始めていたのでした。
学校の先生になることを希望していましたが、当時は団塊の世代がバリバリの現役で、教員採用試験の倍率は数百倍ということもザラで、強力なコネと実力が無いと無理だと言われていました。
「ホントにこのまま大学に行って仕事にありつけるのかな・・・」
と悩みに悩んでいましたが、その数年前に父を亡くして、ずっと専業主婦だった母が急に社会に放り出されて、私達子ども3人を抱えて途方に暮れていたこと、手に職が無かった(それどころか車の免許も無かった)母が就職と言っても(母は当時30代で若かったのですが)まったく職にありつけず、結局自分でコンビニエンスストアを開くことになったことなどを見ていたので、女が手に職も無いまま生きていると、結婚して旦那さんに先立たれた時などに食いっぱぐれちゃうんだ、と痛烈に感じており、「掃いて捨てるほどいる文学部卒というだけの教員免許持ちになっても就職は難しいかもしれない」と考え始め・・・

その2週間後には、臨床工学技士養成校の受験を決めてしまいましたwww
(幸い国立文系クラスだったので、数学も理科も専門学校受験レベルの内容は勉強してたので間に合いましたw)

進路指導の教師からは呼び出し食らうわ、母は大反対するわで、急に専門学校に行くと言い出した時はそれはもう大変でしたけど・・・w(ちなみに私は国語の成績だけはとんでもなく良かったので、進路指導の穿刺からは相当期待されていて、なので大反対されました。母も同じく、文系の大学なら良いところに行けるのになんでそんな専門学校なんて!!と怒り心頭でした。)

結局、私の合格していた私大に行ったお友達は4年後就職が出来ず、ずっと非正規職員での仕事を続けて結婚しました。

私は学歴としてはとんでもなく底辺ですが、とりあえず職にはありつけ、就職に苦労することも経験せずここまで来て、今は1級の身体障害者ですが職を追われることも無く以前と同じポジションと待遇で働き続けることが出来ているので、あの時勇気を出して進路変更をしてホントに良かったと、今では思っています。

という経緯が私自身あるので、息子にはなるべく苦労しない人生を歩めるような進路選択をしてほしいと願っています。
が、カエルの子はカエルなんですねw
息子も「オレは教師になりたい」と言っていやがリますwww
オマエもかwww
お母さんが就職厳しいから諦めた道を、アンタは選ぼうとするのね・・・w

でも、ホントにその道に進みたければ後悔のないように努力してやるだけやってみれば良いと、今の私は思います。
私はそういう勇気が無くて、好きでもない(というか、大嫌いだった)理数系科目オンパレードのエンジニアの道に進んでしまいましたが(そして後悔しまくりましたがw)、息子にはやりたいことをやりたいように追いかけてほしいと思っています。

ただ・・・
最近、私が透析患者になってしまったこと、
何十年か前までは透析が無くて、腎不全の患者はみんな苦しんで死んでいっていたこと、
透析のおかげで、お正月に初詣にも行けなかった体調が今は走り回れるほど元気になって、普通に生活できていること、
そんな話を聞かせていたら、息子の進路希望が少しずつ違う方向に進みつつあるように感じております・・・w
(でもまだ、「医療系は休みが無いし激務だしグロいからヤダ」と言ってますけどw)

色々悩んで、色々な経験をして、色々なものを見たり聞いたりして欲しい。
それがきっと息子の人生を豊かにしてくれることに繋がるだろうから・・・。